[日本]牧師による3週間の“保護説得”ー監禁の先にあるもの

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摂理に出会うまで

私(30代男性)は元々心理カウンセラーになって、人のメンタルな問題を助ける生き方がしたいと思っていた。しかし大学に入って、より専門的に心理学を学んでみたら、心理学というのは現状の分析や把握はするけれども、(今考えれば当たり前のことだが)どうあるべきなのかを示すものではなかった。
 
自分が「よいカウンセラー」になろうと思っても、結局どこまで言っても自分の価値観や判断基準によってベストを尽くしてアドバイスするしかないのだという、心理学の限界を悟るようになった。
 
そうして、本屋でカウンセラーに関する本を読み漁りながらも、確信を得ることはできず、それでも経験を最大限積みながら「悪くない」カウンセラーを目指すしかないのかと諦めかけていた時に出会ったのが、聖書だった。
 

摂理で学んだ聖書の話とは

人間は、肉体と心だけではなく霊もあり、霊を生かしてこそ人間として本当に正常な生き方ができるという聖書的な人間観に衝撃を受けた。今まで探しても探しても見つからなかった突破口が見えた気がしたし、人間に対しての新しい認識を持てると確信できた。
 
かと言って、急激に考え方や行動習慣を変えるのにも限界があったので、週に一回くらいのペースを守りながら、自ら学ぶ姿勢を最後まで保ちつつ、聖書を学んだ。学べば学ぶほど、それらが理に適っていて、信じるに値することを実感した。そうして、半年以上が経過する頃にははっきりと神様のことを信じられるようになり、信仰生活をするようになった。礼拝にも出席するようになった。

 

「摂理のことに詳しい専門家と話してみて欲しい」と家族から言われたー実質は強制的に会わせていることと同じ

私が摂理の教会の主日礼拝に出るようになって二年弱が経過したある日、実家に帰ってみると、そこには祖父母も来ていた。そして、しばらくして、父が神妙な面持ちで「お前に少し確認しなければいけないことがある。摂理に行っているのか?」と口を開いた。僕は「そうです」と答えた。
 
既にその前に摂理についての報道があって、色々と心配した両親に(そんな宗教には)行っていないと言っていたので、両親はなぜあの時は嘘をついたのかと言われた。ただ無闇に心配させることはしたくなかったということは伝えたが、当然納得はしてもらえなかった。そうしているうちに、親戚のおじさんやおばさんも家に入ってきた。どうやら近くで待機していたらしかった。
 
そして、しばらく色々と問答を繰り返した結果、摂理のことに詳しい専門家と話してみて欲しいということを言われた。親の姿勢としては、「本人が納得しないなら」強制的には連れて行かないということを断固として守ろうとしていたようで、ただひたすら説得してきた。
 
しかししばらく話してみて、どんな話をしても親の方には牧師に会わせること以外に選択肢はないということが分かったので、実質は強制的に会わせていることと同じだった。私は、摂理について批判ばかりしている牧師に会わされるのだろうと思い、最後まで会わないで済む方法がないかと模索したが、どうにも無理だったので、会うことを承諾したら、車で移動することになった。
 

倉敷めぐみキリスト教会の高山正治牧師との初対面「私をなめない方がいい」 ウィークリーマンションでの監禁開始

そして車で1、2時間ほど移動した先はウィークリーかマンスリーかのマンションの一室だった。キッチンとワンルームがそれぞれ7,8畳ほどあるようなどこにでもあるような一人暮らし程度の間取りだったが、玄関のドアの内側にも鍵がついており、鍵がないと外にも出られないようになっていて、窓にも内側からロックがかかるようにカスタマイズされていた。当初は窓にも近づかないように言われた。
 
途中、強引にでもその部屋から出て行くチャンスがあるにはあったが、私は、無理やりにでも外に出て行こうとすることはできなかった。家族の制止を振り切ってまで逃げていくというのはあまりにも非情な方法のように思えた。
 
そうして私は専門家だという牧師を会ってもいいと話すようになった。しばらくすると、初老の老人が入ってきたが、それが倉敷めぐみキリスト教会の高山正治牧師だった。彼は開口一番「私は20年以上摂理以外にもこういう問題に関わっている。私をなめない方がいい。」と言った。明らかに私を威嚇し、怯えさせようとしていた。ただ、その日は単に顔合わせだけで終わり、以降の「勉強会」をどのように進めていくかを翌日決めることになった。

ただ、それでも当初はその場を主導していたのは両親だった。親は摂理のことをオウム真理教のように認識していて、反社会的な行動のために色んな教育がなされているという認識があって、テモテへの第二の手紙2:3『キリスト・イエスの良い兵卒として、わたしと苦しみを共にしてほしい。』などを読んだ時にも、兵卒とか司令官という言葉がテロリズムを想起させるからか、反社会的な破壊活動の計画に関わっているのだろうというように私を疑うような素振りを見せたりしたが、それでもこの頃の両親の関心は、これは後々分かったことだが、純粋に子どもが何を学んでいるのかを知りたいということだった。
 

家族だけで過ごす期間が唐突に三日間与えられた 摂理の御言葉を親に伝えたが

翌日から、高山牧師との対話をしながら、摂理ではこうで、一般のキリスト教ではこうだと、教理的な議論をするようになった。最初はその場所で、私と高山牧師が親の前で同席しながら議論していたが、結局は平行線のようになっていくので、少しすると高山牧師は、先に私と親で話したらいいと言って、親と先に話すことになった。そうして、家族だけで過ごす期間が唐突に三日間与えられた。
 
親と水入らずで話し合えることになり、私は希望で胸がいっぱいになり、聖書を開いて親に30個論をひとつひとつ伝えていった。うまく伝えられるのか不安もあったが、聖書に書いてある愛の実践がどういうものなのか、また摂理の先生がどのような人生を生きて、どのような愛を実践なさった方なのかを精一杯伝えた。
 
そうして、三日間の間に親は私が聖書をどのように学んできたのか、そして聖書に何が書いてあるのかということを初めて知るようになったし、その内容がなにも不自然なものではないということを知って、幾らかは態度をやわらかくしていた。その様子を見て、私は一層希望を感じるようになっていた。もしかしたら親に自分の信仰を理解してもらえるかもしれないと。しかし、それは浅はかな考えに過ぎなかった。三日が過ぎて、高山牧師が来て、親と対話をした後、親の態度は一変していた。(親と高山牧師が話す時は、必ず僕をワンルームの方に残し、キッチンの方で間のドアを閉めて別に話がなされた。)
 

親は高山牧師のいいなり 僕を監禁し続けた

その場をどのように続けていくかは、親に決定権があったが、親の結論としては、「反社会的な行動をさせる摂理を信用することはできない。だから、高山牧師先生からカウンセリングを受けなさい。」ということだった。
 
それまでに抱いた希望があっただけに、この時の失望はあまりにも大きかった。聖書の講義には納得していた親の態度がいっぺんに頑なになったのはあまりに不自然で、明らかに高山牧師の言いなりだった。人が、特に親が、不安の中ではどんなに努力しても理性的に判断することは難しいということを痛感したし、親に決定権があるとは言うものの、自分の子どもはほとんどマインドコントロールにかかっているという認識があって、また高山牧師はそのマインドコントロールされた人をどうすればいいかの専門家という思い込みがあるから、結局は、高山牧師がその場を支配していることと同じだった。
 
この時、その場で親を説得することは無理だということと、あとはもう自分自身が本当に信仰を守れるのかどうかの戦いをするしかないこととを、失望と共に受け入れるしかなかった。
 

摂理に関する悪い情報をひたすら見せられ、聞かせられ、読ませられることが続いた

そうして、そこからは地獄のような精神の苦痛が続く日々だった。摂理に関する悪い情報をひたすら見せられ、聞かせられ、読ませられることが続いた。逃げ場所もなく、信じているものを毎日数時間にも渡って否定され続ける精神的苦痛は本当に甚だしかった。最初はすべて見るまいとひたすら避けていたが、摂理が正しいと信じるなら何を恐れる必要があるのかと、高山牧師や家族にも言われ続けるので、切実に祈って、正しく見極められるように願い求め、出されるすべてのものに目を通すようになった。
 

高山牧師が出してくる情報のほとんど全ては、先生や摂理についてごく一面的にしか示さないもの 「証拠」として不自然すぎるものばかりだった

その結果、高山牧師が出してくる情報のほとんど全ては、先生や摂理についてごく一面的にしか示さないものだということがわかった。高山牧師が主張する通りに、摂理や先生の悪を証明するものだというためには、それだけではとても十分と言えるものではなかった。
 
例えば、先生の一番弟子の牧師と先生のやり取りのメールだと言って見せられたものも、よくよく見てみればそれが本当に本人が書いたものなのかを断定できるものではなかったし、そんなことをわざわざなぜメールでやり取りする必要があるのか分からないもので、「証拠」として不自然すぎるものばかりだった。
 

高山牧師から聖書的な答えや解説を聞けたことは、結局最初から最後まで一度もなかった

また、教理的なことについても、こちらが聖句を用いて根拠を一つ一つ出していくと、牧師の答えは次第に詰まるようになって、「摂理の人はよく聖書を読むんです。でも間違っている。勝手に解釈してはいけない。」と強引なはぐらかし方をされた。高山牧師から聖書的な答えや解説を聞けたことは、結局最初から最後まで一度もなかった。むしろ、高山牧師が引っぱってくる根拠は、一般の書籍や情報からのことばかりで、聖書をほとんど読んでいないことが明らかに窺えた。この「勉強会」で、あまりにも失望したことの一つだ。
 
象徴的なことがあった。ある時、高山牧師が言った。「・・・摂理をやめた人はそれぞれふつうに生きているよ。ただ、教会に行ったり聖書の勉強をし続けている人は少ないけどね・・・。」何の気なしに聞いていたら素通りしたかもしれないこの発言に、私は凍りついた。…あなたが‘救った’はずの人はほとんどが信仰自体を捨てている・・・?!。この人は牧師でありながら平然と言っているのか? 本分であるはずの牧師という使命に対して自覚があるとは思えない発言だった。

そしてまた、マインドコントロールの本も何冊も読まされたが、そのいずれも、人がその心に影響を受ける当然の原理そのものを説明するだけのものだった。悪いコントロールを受けないためにどうすべきなのかということについては、せいぜい、直感を信じるというような曖昧なことを書いてあるに過ぎなかった。しかし、親は同じ本を読んで、ただマインドコントロールが恐ろしい結果を引き起こすという恐れだけを強くして、いっそう不安に駆られるようになった。
 

勇気を出して全ての摂理の情報と真実に向き合ってみたが

このように、勇気を出して全ての情報と真実に向き合ってみたが、高山牧師が出してくる資料は、総じて「不完全」だった。先生を悪というために決定的ではなかったし、一見そのように見えないこともない、考えられないこともないという程度だった。むしろ、そのような情報を吟味しながら、もっと摂理について外側からどのように見えるのかを深く正確に知る機会になったし、認識によってどれだけ判断が左右されるのかを実感する機会になった。

私にとっての「勉強会」の現実とは、「牧師」という人からは一度も御言葉を介して心が感動したり恵みを受けることがなく、どんな困難な状況でも祈って聖書を読むならば心にはっきりと響く悟りと気づきがあるという、先生がいつも仰っていたことを実体験できたということだった。そのように、聖句一つを通してさえも悟れることがたくさんあるように教えてくれたのは、ただ先生だけだった。
 

3週間ほどいた監禁場所からやっと出られるようになった

そうしてそこでの時間はどんどん過ぎていったが、私が信仰的に多くの恵みを受け、力を受けた一方で、家族はどんどん衰弱していった。このまま行くと家族がもたないように思えた私は、もうただ依怙地になって信仰を続けると言い続けることは誰の有益にもならないということを悟り始めた。
 
その時から、信仰は捨てないが摂理での信仰にこだわるわけではないという姿勢をとるようにした。すると、高山牧師はあまりにもあっさりと、私のことをもう大丈夫だと親に言うようになった。さぞかし厳密な思想チェックが行なわれるのだろうと考えていたので、拍子抜けしたし、牧師の「仕事」があまりにもお粗末であることを感じた。結局、摂理の牧師宛に、摂理を出るという旨のメールを書いて送るように言われ、それに従った。

そうして3週間ほどいた監禁場所からやっと出られるようになった。実家での軟禁状態を経て、大阪の下宿先に戻るようになるまでは、最終的に約40日が必要だった。

 

親は監禁を後悔していた 監禁はあまりにも野蛮な方法だ

監禁に遭ってからもう8年以上が経つが、非常に胸が痛いのが親はこの手段をとったことを後悔しているということだ。「ほかにも方法があったのかもしれない」という言葉を何度か聞くようになった。恐らく他に、監禁の方法以外で子どもと対話を続けて行なうことができた事例を、後で耳にしたのだろうと思う。
 
監禁はあまりにも野蛮な方法だ。私と親の関係は今では監禁を受ける前よりも、もっと何でも話ができ、お互いを愛せる関係性にまで回復したが、そうなるまでには数年かかった。監禁に遭って数年の間は、私は親に対してまた監禁するのではないかと、親は私に対してまた摂理に戻るのではないかと、お互いにいつも心に恐れを抱えながら接さなければならず、対話する度に極度の緊張を強いられることが続いた。
 
また、これは社会人になって気づいたことだが、監禁を受けたことで、私は他人の感情やふとした表情の変化に異様なまでに過敏になってしまい、自分の感情を極力表現せずに、無意識に隠すようになってしまった。自分の反応一つを四六時中観察されて過ごすという経験が、あまりにも自分を防衛的に作ってしまったのだろう。本来の自分を取り戻すまでには、だいぶ時間が必要だった。

 

このように、監禁という方法は肉体的にも経済的にも精神的にも霊的にも、あらゆる面で負担と弊害があまりにも大きく、益が少ない手段だといわざるを得ない。今尚同様の方法による監禁が続いているなら、あまりにも憂うべきことで、ただ不安と恐れに飲まれて愚かな選択をしてしまう家族がこれ以上出ないことを願う。

2015年1月15日

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